マンチカン(短足猫)への批判や病気の心配と幸せについて

マンチカン(短足猫)への批判や病気の心配と幸せについて

はじめに

わが家には、シニア(2019年現在10歳)のマンチカンがいます。とても、聡明で人の言葉を理解しているのではないかというくらい会話が通じます。人の空気に非常に敏感なのだと思います。いままで、尿路結石や皮膚炎や関節炎などを経験しましたが、がんばって乗り越えてくれました。いつまでも健康で長生きしてほしいねがいを込めて、あらためて、「マンチカン」という猫種を紹介します。

はじめに、ご注意を申し上げます。タイトルに、正直に冠したとおり、マンチカンという種類が抱えているかもしれない心配事・病気のおそれ関節などへの負担など心配なことについて、知っていることを正直に書きました。

とはいえ、そうした欠点?も含めて存在そのものが愛おしく、生涯を幸せでいっぱいにしてあげたいという願いをこめて紹介しようと思います。マンチカンの品種全体に対する批判も、十分に尊重して、そうした批判もできるだけ丁寧にご紹介します。

マンチカンの概要

マンチカンの正確な表記は「Munchkin」と書きます。「小人」という意味があります。原産は、北アメリカです。英語で発音するとマンチキンとも聞こえる気がします。特徴は、周知のとおり足が短いことです。犬でいうと、ダックスフントやコーギーのように短い足が印象的な猫種です。ただ、猫という動物は太古から木に登ったり、降りたりアクロバットな動きが得意です。こうした、動きをするためには、マンチカンのように足が短いのではなく、足が長いほうが、しなやかなジャンプや着地を容易にします。

マンチカンは、高所から降りて、地面や壁面に接地するときに、足が短いことによって、接地面と顔との距離が非常に近いことになる。このため、着地の衝撃を吸収するために必須の動作である脚の屈折がしずらいことになる。着地の衝撃は、そのまま痛みになるため、マンチカンは、アクロバットな動きが苦手ということになります。上下移動よりも、横移動が得意になります。

マンチカンの起源

マンチカンが、猫種として認識されたのは、1980年代です。とはいっても、短足の猫自体は、古くから認知されてきました。一般の資料によると、100年以上前から、そのような猫がいるという認識は持たれていました。

しかし、学術的な記録として初めて報告されたのは、1944年です。猫の歴史を考えると比較的最近です。イギリスの獣医学者が、短足の猫なのに健康的な個体を発見したと報告したことが、あくまで「学術上の」最初の例とされています。同様に、ロシア、ニュージーランド、アメリカの各地で発見が報告されました。

ちゃんとした健全な猫の種類として、認識されたのが、1980年代ころからだったというはなしです。それまでは、多くは、単なる突然変異体としての扱いを受けてきたような資料が残されています。

交配・繁殖は、1983年、アメリカのルイジアナ州から始まりました。その方法は、ブリーダー主導によって、短足猫(マンチカンの原種)の突然変異体どうしの異種交配によって、健康的な個体によって固定されてきました。

もちろん、上に述べたように、こうした公式資料に残る報告のみならず、猫大国の日本でも、街や野山にいる猫を、よく観察すれば、手足の短い猫を見つけることができます。公園などにも、足の短い猫というのは、ふつうにいるという経験的な印象をわたしは持っています。

マンチカンの品種化に対する根強い批判

劣勢遺伝の交配

マンチカンという短足の猫を、遺伝子の交配によって新種を固定化するという人間の行為は、大きな批判も受けてきました。短足の猫というのは、突然変異体という扱いを受けやすい傾向が強いです。このような短足の猫は、遺伝子の異常によって生じるもので、劣性遺伝の交配は好ましくない、というか、批判の標的になりやすいということです。

たしかに、近親交配のように劣勢遺伝で作られる個体数を増やそうとすることは、周知のとおり危険なことです。

ヒトの場合でも、日本の民法が3親等以内の血族について、遺伝安定の理由から、婚姻を禁じているように、劣性の遺伝が生じる行為を、故意に繰り返すことは、生物学的にも問題視されて当然であったと思います。現実の様相を見ると、いまでは結果的にマンチカンやスコティッシュフォールドなど新品種が固定種として認定されているにも関わらず、異常視する意見も根強く残っています。

 

アメリカで大変著名な猫行動専門家のジャクソン・ギャラクシー氏もまた、マンチカン猫種について、言及したなかで「猫本来のすがたとは、かけはなれた形にしようとする人間の都合によって、生みだされた猫種であり、ときには、行動の面で何らかの支障がないのか、とても心配が残る。」と言っています。

猫種と認定されても根強く残る批判

約15年もの鋭い対立の年月をかけて、マンチカンは、1995年、世界最大の猫遺伝子登録機関であるTICA(The International Cat Association, ザ・インターナショナル・キャット・アソシエーション) によって、公式に新たな猫種として認定されるにいたりました。

いうまでもなく、短足猫を固定種にするために道のりは、険しい対立を乗り越えなければならない道のりでした。ひとまず、マンチカンを猫種として認めて相当とした学説のポイントは、おおむね次のとおりです。

「足が短くても、体内の機能はすべて正常と言い切ることができるので、一律に異常と断ずるのは当たらない。逆に、外形だけを捉えて異常と言うのは差別的だ。また、血縁が近い個体同士の交配が反倫理というならば、自然界の多くの小動物の社会をみれば、近親交配は通常のように行われているではないか。こうした自然現象すら反倫理というのか?」といったような主旨です。

しかし、現在でも未だ、アメリカやフランスの権威ある準公的団体は、マンチカンの猫種を認めていません。もちろん、こうした事情は、マンチカンに限ったことではなく、他の猫種にもあてはまります。

ある記事によると、超有名ユーチューバーのヒカキンさんが、スコティッシュフォールドを迎えたことに対して、保護猫でないばかりか人為的な劣性遺伝交配から作られた猫を迎えるとは、何事か、といった批判が少なからず沸き起こったのだといいます。影響力のある人が、マンチカンやスコティッシュフォールドのような、劣性遺伝交配を奨励するかのようなことは、危ういことだという主旨のようです(参照サイト:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56785)。

議論のお作法なのでいちおう反論

はなはだ僭越なのですが、法学部の先生から「議論は対立意見も併記してセットする」と習ったので、いちおう反対意見を述べます。ご批判は、多くいただくかもしれません。生意気な私見を述べることについて、先にお詫びをいたします。

経験上の話として、ご紹介します。以前住んでいた、富士山のまわりには、猫が多く住む町や山があります。そこで経験したことは、自然の猫を観察していると、足が短い猫というのは、決してめずらしいことではなく、高い確率で発見することができるという経験です。

マンチカンの品種に対しては、日本は寛容に受け入れられていると感じます。街の猫をつぶさに観察しても、マンチカンと同等程度に足の短い猫というのは、意外と少なからず、見つけることができます。ともあれ、このように、世界と日本における短足猫に対する認識の違いは、日本が猫大国だからなのかもしれません。

小括

殊、日本でマンチカンが受け入れられやすいといっても、そのなかにも厳しい批判があるのも事実であり、また、世界のメジャー大国でも同様の事情があるわけです。

 

もちろん、マンチカンが、猫種としての基本権をちゃんと手に入れることができた。これだけでも、大変名誉あることです。ただし、忘れてはならないことがあります。マンチカンが、猫として基本権を得るまでには、大変に大きな議論の応酬があったということであり、マンチカンという猫種を認めないとする主張のなかにも、いちおう妥当するポイントはあったのではないか、ということです。

マンチカンに障害一切なしと言い切っていいか?

マンチカンは、じつは後ろ脚よりも、前脚のほうが短いです。したがって、前脚の関節への負担が心配されることがあります。

わが家のマンチカンのはなし

昨年のこと、わが家のマンチカンの歩き方が、とても辛そうにしているので、すぐにかかりつけの病院に連れていきました。すると、高齢によって生ずる関節炎と診断されました。骨の関節において、衝撃を緩衝する軟骨がすり減った結果、骨と骨が直接擦れるなどして、歩くときに痛みを生じている、との診断でした。このときは、頭が真っ白になりました。あんなに元気に走り回っていたのに、なんでこんなことになったのか、と自傷したいくらい自責に駆られました。

変形性関節症≒骨関節炎

マンチカンの場合にも、一部、骨軟骨形成異常の遺伝疾患があると主張する説・事例が存在します。獣医師先生のご説明によると、遺伝性であることなどから、詳細な原因を特定するのは難しいそうです。しかしながら、骨関節炎は、世間でまことしやかに言われるような、治療不可能ということではない、と診断してくださいました。これは、骨軟骨の減少によって生じる痛みではある。しかし、間接的に原因の候補に推定できるのは、不自然に強い力を受けたか、または、運動不足を挙げることができるといわれました。というのは、骨と骨をつなぐのは、軟骨だけではなく、もちろん大半は、筋肉が支えています。したがって、軟骨が多少減ったところで、元来、筋肉がしっかりとしていれば、骨と骨の隙間に入って緩衝してくれるのだ、と仰いました。

事実、わが家のマンチカンの場合にも、骨関節炎と診断されたあとに、最初は、消炎鎮痛薬とあわせて、高濃度グルコサミンを摂ってもらいながら、運動量を増やした結果、およそ2週間~3週間で、痛みなく歩いたり走ったりできるようになりました。一か月もするころには、すっかり以前とかわらない元気な姿に戻りました。

マンチカンの変形性関節症、骨関節炎は、生活習慣を見直し、健全な運動と健全な食生活の継続によって、予防することができる。また、仮に、症状があらわれたとしても、間接的な補強手段によって、極めて軽減することも可能である。

マンチカンが加入すべき保険

わが家のマンチカンもペット保険に加入しています。たとえ、どんな金額がかかろうとも大切な家族のことなので、糸目は決してつけません。でも、もしものことがあったときに、自分に力がないためにあらゆる治療を受けさせてあげられない、となることだけはいやです。だから、ペット保険に加入しました。

大切な家族だから心配事から目を背けない

とはいっても、大事なことは、一見元気な姿であっても、軟骨の減少は常に、身近な問題であり続けるということです。

たしかに、人為的な交配に反対する主張は、科学的・統計的に正当と言うべき根拠を欠いている主張が存在するのも事実です。そのような、主観だけに頼っている主張は、ときにはいたずらに不安を煽る側面も否めません。

しかしながら、マンチカンについて、はっきりと言えることがあります。

マンチカンは、特有の短足であることによって、高い場所から跳んだり、高速度で走ったりするような猫本来の行動をするためには、物理学上、衝撃を和らげるための屈折高が短く、猫としては不相応に、大きな衝撃を関節に受けているということだけは、力学原理的に見て、明白だということです。

現実のこととして、たとえ、短足マンチカンと短足マンチカンが交配したとしても、7割~8割は、短足ではない足の長い子が生まれるのだそうです。このことが示すのは、マンチカンは、親の遺伝子を受け継ぐよりも一層強く、猫が古来から受け継いだ体形・形質を受け継ぐのだということです。そして、そのことは、自然法則が、マンチカンのような短足猫を、あたかも、認めないとするかのようにも感じてしまいます。

マンチカンと暮らすからこそ考える保護猫活動

人為的に交配させて品種を作ることに関して、世の中には、倫理的政策的な視点から、賛否両論あります。わたしは、どちらがどうなのかは、未だ考えが決まっておりません。少なくとも、人為的な交配について議論する以前に、捨て猫や殺処分されているような動物が、一切あってはならないことだと強く思います。わたしは、猫と一緒に暮らすまでは、こうした問題に向き合うことなく生きていました。いまは、人が作ったマンチカンという猫と一緒に暮らしていることによって、より一層強く猫や犬・小動物と人社会のことをすごく考えるようになりました。わが家のスペックで可能な保護活動を模索しています。

現代の資本主義経済社会は、正義や道徳・倫理を実現することさえも、経済活動と結び付けて発展しました。小動物の命と経済活動を結合させることに関して、一面だけ見れば「キライ」という人も多くいます。しかし、経済活動は、社会を動かす大きく強い力です。小動物を助けるために、多くの人の心を動かすために、ビジネスというツールは強力であることは、ちがいありません。

猫にかぎらず、ペットとされる動物たちが、人の社会のなかに、ちゃんと基本権をもった存在として小動物の存在が位置づけられる将来が来るといいなと思います。「可愛い」ことだけに終始せずに、現実の「苦痛」の面を真正面から捉えることがスタートになると思います。

マンチカンにも幸福追求権

たしかに、いろんな議論があって、マンチカンが禁忌といわれても、それも一理あるように思います。しかしながら、それでも、わが家のマンチカンの幸せな一生は守られるべきだと思っています。理屈や理論などは、とりあえず置いておくとして、わたしにとって、わが家のマンチカンは大切な家族であることには、変わりありません。

もうアラサーにもなって、社会を次の時代に引き継ぐ責任を持ちはじめた大人の人間が、マンチカンを愛でる故に、問題を据え置いてしまうことは、オカシイという意見も聞こえてきそうです。

しかし、少なくとも言明できることは、自然界にも短足猫は珍しくないということ。常染色体に優勢の突然変異が、自然に起こることは、あり得る話なのは、人の社会を見ても古くからなじみがあるということ。すなわち、マンチカンのような短足の猫を、一律に反自然と断ずることは、不相当であるということ。たとえ、マンチカンの交配が反倫理だとしても、交配によって誕生したマンチカン猫は、そのすべてが幸せであるべきであり、その実現の責を負うのは、交配を担当した人間であるということ。

人が、猫を交配させるから、人が猫を幸せにする義務を負うのか。はたまた、猫は、自然権的に元来、幸福追求の権利を持っていて、その反射的な効果として、猫の一生と関わる人が、そうした猫の幸福追求の権利の実現を担う関係に入るのか。なんだか、基本的人権のような込み入った話になってきました。

 

とにかく、交配がいいか悪いかという難解な社会問題は、決着が困難かもしれないので、目先の猫ちゃんたちの幸せと平和で安全な生涯を守ることが、まずはわたしたちが考えなければならないことだと思います。少なくとも言えることは、マンチカンが可愛いということ。そして、マンチカンは幸せでなければならないということ。

おそらく、わたしは、わが家のマンチカンと出会っていなければ、こうした問題を真っ向から考えなかったかもしれません。私が確実に言明できるのは、マンチカンという猫は、個別の愛情を通じて、猫全体と人間社会とのつながり、ひいては、人と動物だけでなく、基本的権利とはなにか、という深い洞察と豊かさを与えてくれました。マンチカンという猫は、少なくとも、類稀なる愛くるしさの象徴的な存在であるということと考えています。

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